2015年12月07日
【レヴュー】映画「インサイドヘッド」
■あらすじ
11歳の少女、ライリーの物語と、その中の脳の中の物語の二軸によって構成される。
ライリーは、イリノイという田舎町で暮らしていたが、父親の仕事で大都会でカルフォルニアに移り住むことに。
ライリーは、初めて、故郷を離れ、今までにはない新しい経験をする。
それにあわせて、脳内も激しく変化する。その要素を可視化しているのが、
本作の特徴といえるだろう。脳内は、下記の様に描かれる。
喜怒哀楽の感情、ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミといく擬人化された感情が、
司令部と呼ばれる、意思決定に関わる場所において、入ってくる情報に対して、会議を行い、
行動が決定されていく。擬人化された感情たちは、ライリーを幸せにすべく、会議にいそしむ。
さらに、脳内には性格を形作る島、友情、家族、おふざけ と言ったパーソナリティーや
記憶を管理する場所、地下深くに眠る深層心理郡、忘却された記憶の集積所、
夢をみせるスタジオ等々があり、脳の働きをそれらしく描いている。
カルフォルニアで、ライリーがホームシックに陥ると、
ここぞとばかりに会議を始まる、脳内の感情たち。が、アクシデントで、ヨロコビとカナシミが
司令室から遠い地にとばされてしまう。
ヨロコビとカナシミは、ライリーの決断を良い方に向かわるために、一刻も早く指令室に向かおうとする。
そして、ヨロコビとカナシミの司令室へと向かう脳内ツアーがはじまる。
■テーマ
「悲しみ」も必要ってことですなー。
作中もネガティブで、会議の足をひっぱっているように見えるカナシミ。
まあ、必要だから、いるって話で、ひいては、そういうネガティブな人間もまた、必要だよっていう、
極めてディズニー的な道徳性をといてくる。
良くも悪くも、いつものディズニー・ピクサーである。
本作にみられるピクサーの手法については、島国大和さんの記事が非常に参考になりました。
ご一読を。
■みどころ
脳内の様々なギミックを見せておいて、それらを使って、ヨロコビとカナシミの冒険がどんどん進むことだ。
イマジナリーフレンドとか、子どもの頃のトラウマとかそういうのをビジュアル化して、動かすのがすげーうまい。
加えて、ローカライズがすげーしっかりしている。
各種文字を全部、徹底的に日本語にしている。
coutionとか、ideaとかそういう英語だったであろうものを全て日本語している。
簡単なようで大変。3DCGだから、テクスチャー変えてできるとは思うけど、
最初から多言語対応を目指してつくっているということが伺える。
ウィキペディア先生によると、嫌いな食べ物としてピーマンがでてくるが、これは本国だと、
ブロッコリーらしい。
■公私混同な感想。
こっからは、盛大にネタバレ。
躁鬱のコンビで、最初はイライラする。
躁状態の人は、ヨロコビに共感するだろうけど、鬱よりな人は、
ヨロコビは、マジでうざい。
日本語だと、竹内結子がCVをしているが、
優等生的で、明るくて人気ものだろうが、個人的にあまり関わりたくないタイプの人間だ。
そのヨロコビが、最後、カナシミの力を借りて、ライリーを幸せにした時、爽快感があった。
また、意地悪な見方をすると、
ヨロコビやカナシミたちの頭の中は、どうなっているだろうか?
そこにもヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリがいるのだろうか?
この様な問いは、中世ヨーロッパの哲学から存在している。
心の中には小人がいて、その小人を通じて人間は世界を認識しているという。
その小人が観ている世界をみているのは誰かという、無限交代に陥るので、間違いだよと当時からそうツッコミを受けていたそうだ。
ま、野暮なツッコミだ。
また、題材が完全に脳内ポイズンベリーとかぶっているが、なぜそうなっているのかチェックするためにも、
脳内ポインズンベリーが観たい。