2015年03月20日
【感想】今日の「マッサン」
とし兄が、いい感じで機能している。
障害となり、マッサンの一歩を簡単には踏み出させない。
かつては、大将がそれをやっていた。
震災の後に、アーティストやライターは、何をしていいのかわからない、何をかいていいいのかわからない、
うたっていいのか、描いていいのかと問いていた。
やれよ!!!
それしか、能がないんだから。マッサンのやれることをやるかっこよさが、今週は炸裂している。
障害となり、マッサンの一歩を簡単には踏み出させない。
かつては、大将がそれをやっていた。
震災の後に、アーティストやライターは、何をしていいのかわからない、何をかいていいいのかわからない、
うたっていいのか、描いていいのかと問いていた。
やれよ!!!
それしか、能がないんだから。マッサンのやれることをやるかっこよさが、今週は炸裂している。
【感想】四月は君の嘘~22話~
ネタバレしかかかない
さて、前置きはこれくらいで。
悲しいほど、美しい映像だった。
瀬戸先生が「公生は、人の死を乗り越えて、ピアニストとして、成長していく」 といった瞬間、
ああ、宮園は死ぬんだと確信した。
この話は、有馬公生が人と出逢い、人と別れ、ピアニストとして、人として成長していく物語だった。
そして、
「人は、一人ではない、一人でいることはできない」というテーマを語る物語だった
そういう、道徳の授業でいうような、「陳腐」な一言を実感させる、素晴らしいエンターテイメントであった。
その素晴らしさは、原作の良さもあるが、音楽と、何より作画がすばらしかった。
最終回を一つとっても、何一つ意味のないシーンもカットもなかった。
手術のシーン、そして、その後の雪の上に足跡がついていくカット、これはもう宮園がこの世から消えていくことを
一瞬でつたえる記号の集合体である。
手術のシーン、バイタルが下がるカットがあった。これは、手術が失敗していくことを端的に物語っている。
そして、足跡のシーン、猫の様に外にでて、ふと公生に近づくことを一瞬で示す。
そして、その後のセッションの「ありがとう」の一言で、自らの生に終わりを告げ、
ピアニストとして、人として心に刻みたかった人、刻んでほしかった人へみせる最後の姿だった。
それほどに、さまざまなことを含有するすばらしい一連の流れだった。
そして、その後の演奏のシーンだが。
宮園が与えてくれた色づいた世界への喜び、
宮園と出逢えた喜び、自分が一人ではないと教えてくれた感謝を描写。
そして、最後のセッションを行う喜びが描かれた。
ソリストにとって、それは生きることそのものであることのメタファーだった。
別れを悟り、一人で演奏するシーンは、公生の悲しさ、叫びが描かれた。
それらのどれもが音楽とマッチしていた。
ここは、映像化した甲斐があると誰もが思える事実であろう。
手紙では、タイトルの謎が、綺麗に明かされる。
世界が色づいたのは、公生だけじゃなかった。宮園もだった。
友人Aは、彼女の世界、生きる意味、そのものだった。
(彼女自身が友人A、いや同級生Aにすぎなかった。)
彼女が生きた証しである、音楽を公生ともに奏でること、それが彼女の世界を
明るく照らし、彼女の最後の「生きる」ということだったのだろう。
彼女は、公生がまた自分が母親と同じ様に、音楽を辞めるきっかけになるかもしれないと
もう、ピアノを弾く機会を奪うリスクも知っていたが、
それでも、「私たち」、「音楽家」である公生を信じた。
彼女のかけはあたった。表情が描かれた母親の記憶を彼女は、彼に再び、思い出させ、ピアノを弾く力を与えた。
おそらく、自分の死にあっても、それがきっと彼を強くする、瀬戸先生と同じ読みだったのだろう。
そして、椿がそれを支えるってことも知っていた。
全ての人は「世界」に投げ入れられた存在であるとハイデカーはいう。そして、それぞれの世界で人は生きる。
だが、それだけではなく、その世界は、決して交わらないものではないということを
実感させるそんな素晴らしい、作品だった。
ノイタミナスタッフ、原作者の方にいちエンターテイナーとして、敬意を表す。
さて、前置きはこれくらいで。
悲しいほど、美しい映像だった。
瀬戸先生が「公生は、人の死を乗り越えて、ピアニストとして、成長していく」 といった瞬間、
ああ、宮園は死ぬんだと確信した。
この話は、有馬公生が人と出逢い、人と別れ、ピアニストとして、人として成長していく物語だった。
そして、
「人は、一人ではない、一人でいることはできない」というテーマを語る物語だった
そういう、道徳の授業でいうような、「陳腐」な一言を実感させる、素晴らしいエンターテイメントであった。
その素晴らしさは、原作の良さもあるが、音楽と、何より作画がすばらしかった。
最終回を一つとっても、何一つ意味のないシーンもカットもなかった。
手術のシーン、そして、その後の雪の上に足跡がついていくカット、これはもう宮園がこの世から消えていくことを
一瞬でつたえる記号の集合体である。
手術のシーン、バイタルが下がるカットがあった。これは、手術が失敗していくことを端的に物語っている。
そして、足跡のシーン、猫の様に外にでて、ふと公生に近づくことを一瞬で示す。
そして、その後のセッションの「ありがとう」の一言で、自らの生に終わりを告げ、
ピアニストとして、人として心に刻みたかった人、刻んでほしかった人へみせる最後の姿だった。
それほどに、さまざまなことを含有するすばらしい一連の流れだった。
そして、その後の演奏のシーンだが。
宮園が与えてくれた色づいた世界への喜び、
宮園と出逢えた喜び、自分が一人ではないと教えてくれた感謝を描写。
そして、最後のセッションを行う喜びが描かれた。
ソリストにとって、それは生きることそのものであることのメタファーだった。
別れを悟り、一人で演奏するシーンは、公生の悲しさ、叫びが描かれた。
それらのどれもが音楽とマッチしていた。
ここは、映像化した甲斐があると誰もが思える事実であろう。
手紙では、タイトルの謎が、綺麗に明かされる。
世界が色づいたのは、公生だけじゃなかった。宮園もだった。
友人Aは、彼女の世界、生きる意味、そのものだった。
(彼女自身が友人A、いや同級生Aにすぎなかった。)
彼女が生きた証しである、音楽を公生ともに奏でること、それが彼女の世界を
明るく照らし、彼女の最後の「生きる」ということだったのだろう。
彼女は、公生がまた自分が母親と同じ様に、音楽を辞めるきっかけになるかもしれないと
もう、ピアノを弾く機会を奪うリスクも知っていたが、
それでも、「私たち」、「音楽家」である公生を信じた。
彼女のかけはあたった。表情が描かれた母親の記憶を彼女は、彼に再び、思い出させ、ピアノを弾く力を与えた。
おそらく、自分の死にあっても、それがきっと彼を強くする、瀬戸先生と同じ読みだったのだろう。
そして、椿がそれを支えるってことも知っていた。
全ての人は「世界」に投げ入れられた存在であるとハイデカーはいう。そして、それぞれの世界で人は生きる。
だが、それだけではなく、その世界は、決して交わらないものではないということを
実感させるそんな素晴らしい、作品だった。
ノイタミナスタッフ、原作者の方にいちエンターテイナーとして、敬意を表す。
2015年03月19日
【感想】今日の「マッサン」
ふう、展開の予想があったってよかった。
時代が、戦争がおわったその時、日本に必要なことをしようとする姿勢、
マッサン、かっこいい!
サトルの苦悩、その思いはきっと工場を動かす大きな力となるだろう。
カズマの後を継ぐように……。
時代が、戦争がおわったその時、日本に必要なことをしようとする姿勢、
マッサン、かっこいい!
サトルの苦悩、その思いはきっと工場を動かす大きな力となるだろう。
カズマの後を継ぐように……。
2015年03月18日
任天堂とDeNAとの協業
コアゲーマー向けのゲームをつくる
そのことにWiiUで任天堂は失敗した。ライト層がスマホに流れ始めた当時、コアゲーマーの獲得で
生き残りにかけ、ベヨネッタやCoD、NFSなどコアな作品をリリースした。
しかし、それに失敗した。理由はいくつもあるが、一番は、
コアゲームの作り方をよく知らなかったことであろう
スマブラをつくった桜井さん曰く、PS3ででる様な大型タイトルをつくったことはないし、
つくるとなると大変だろうとコラムで書いている。
スマブラと言えば、結構な大作にみえるが、MGS5に比べれば大したことはないという。
そう、任天堂は、ハイグラフィックで複雑な物理演算をするゲームのつくりかたをよく知らなかったのだ。
ノウハウがないまま、飛び込み、ソフトを供給できずに、失敗というのがWiiU歩んだ道だ。
今度のスマホの進出には、決して失敗は許されない。
よって、スマホでのビジネスを知り尽くしたパートナーが必要だ。それがDeNAだった。
任天堂は、安心で安全なゲームを提供するというブランドイメージを守ってきた。
ゲームショウにもでず、ソニー、マイクロソフトとは一線をかしてきた。
ゲーム屋ではなく、遊びを、おもちゃを売る会社であるというイメージを守るためだ。
DeNAとの提携は、そのイメージを壊しかねないが、今回は失敗は許されない。
コンプガチャ問題、高額課金者の問題などは、まだ記憶に新しい。
この大きな決断は、任天堂にとって諸刃の剣である。
そのことにWiiUで任天堂は失敗した。ライト層がスマホに流れ始めた当時、コアゲーマーの獲得で
生き残りにかけ、ベヨネッタやCoD、NFSなどコアな作品をリリースした。
しかし、それに失敗した。理由はいくつもあるが、一番は、
コアゲームの作り方をよく知らなかったことであろう
スマブラをつくった桜井さん曰く、PS3ででる様な大型タイトルをつくったことはないし、
つくるとなると大変だろうとコラムで書いている。
スマブラと言えば、結構な大作にみえるが、MGS5に比べれば大したことはないという。
そう、任天堂は、ハイグラフィックで複雑な物理演算をするゲームのつくりかたをよく知らなかったのだ。
ノウハウがないまま、飛び込み、ソフトを供給できずに、失敗というのがWiiU歩んだ道だ。
今度のスマホの進出には、決して失敗は許されない。
よって、スマホでのビジネスを知り尽くしたパートナーが必要だ。それがDeNAだった。
任天堂は、安心で安全なゲームを提供するというブランドイメージを守ってきた。
ゲームショウにもでず、ソニー、マイクロソフトとは一線をかしてきた。
ゲーム屋ではなく、遊びを、おもちゃを売る会社であるというイメージを守るためだ。
DeNAとの提携は、そのイメージを壊しかねないが、今回は失敗は許されない。
コンプガチャ問題、高額課金者の問題などは、まだ記憶に新しい。
この大きな決断は、任天堂にとって諸刃の剣である。
【感想】今日の「マッサン」
許してつかーさい!!
昨日の考察は誤りだった……。
今度のマッサンは、戦争の傷がいえない日本人にどんな酒を、ウイスキーを提供するのか、
それが争点だ。
本物、偽物ではない。今、日本人に必要なもの、消費者が求めるものを出すのか
それこそが、マッサンの悩むところだ。
それを、甥っ子が教えてくる、そんな展開になるだろう。
昨日の考察は誤りだった……。
今度のマッサンは、戦争の傷がいえない日本人にどんな酒を、ウイスキーを提供するのか、
それが争点だ。
本物、偽物ではない。今、日本人に必要なもの、消費者が求めるものを出すのか
それこそが、マッサンの悩むところだ。
それを、甥っ子が教えてくる、そんな展開になるだろう。